四寺廻廊巡礼記 4巡目④ 中尊寺【其の2】
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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かんざん ちゅうそんじ
関山 中尊寺
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_09.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="不動堂
本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。皆様の願い事に応じて家内安全・病気平癒・受験合格・交通安全などの御祈祷をしている不動堂、今日では多くの信者さんを集め一年を通して御祈祷が絶えません。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>本堂近くの不動堂は昭和52年建立の祈祷堂です。御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています。皆様の願い事に応じて家内安全・病気平癒・受験合格・交通安全などの御祈祷をしている不動堂、今日では多くの信者さんを集め一年を通して御祈祷が絶えません。(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_08.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="峯薬師堂
境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六(じょうろく)の薬師如来(やくしにょらい)はもとはこの堂の本尊でした。堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔(ほうとう)は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>境内の別峯に建っていましたが、度重なる野火にあい、1689年に現在地に移されました。讃衡蔵に安置されている丈六の薬師如来はもとはこの堂の本尊でした。堂の向かって右傍に建つ石造の宝塔は12世紀のもので、重要文化財に指定されています。(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_10.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="大日堂
1802年の再建で、本尊は金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)。前庭に建つ石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は1823年に造立されました。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>1802年の再建で、本尊は金剛界大日如来。前庭に建つ石造の宝篋印塔は1823年に造立されました。(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_13.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="讃衡蔵
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_12.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="阿弥陀堂
1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。蔵王権現(ざおうごんげん)を合祀(ごうし)し、大黒天も安置されています。また1845年に奉納された和算(わさん)の算額(さんがく)が堂内に掲げられています。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>1715年に再建され、本尊は阿弥陀如来。蔵王権現を合祀し、大黒天も安置されています。また1845年に奉納された和算の算額が堂内に掲げられています。(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_14.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124年)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_14.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_14.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_14.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_14.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="金色堂
中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
まず堂内の装飾に目を奪われます。4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>
国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)
(HPより)
<a href="https://www.chusonji.or.jp/around/images/around_19.jpg" target="_blank" rel="lightbox[around]" alt="弁財天堂
本尊の弁財天十五童子(べんざいてんじゅうごどうじ)は仙台藩主伊達綱村公(だてつなむらこう)の正室仙姫(せんひめ)によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆(せんじゅかんのんにじゅうはちぶしゅう)も安置されています。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>本尊の弁財天十五童子は仙台藩主伊達綱村公の正室仙姫によって1705年に寄進されたもので、堂は1716年に建立されました。また堂内には千手観音菩薩二十八部衆も安置されています。(HPより)
なので、御朱印は弁天堂前の授与所で2種類頂けます。
【宗派】天台宗
【寺院本尊】釈迦如来(本堂本尊)
【寺格】東北大本山
【創建】伝・嘉祥3年(850年)
【開山】伝・円仁(慈覚大師)
【札所1】奥州三十三観音霊場 番外札所
【札所2】四寺廻廊
金色堂等、時間の都合で拝観できませんでした
続きます。
最後までご覧頂き有難うございます。
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