熊野神社(名取市)
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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熊野神社
(くまのじんじゃ)
名取熊野三社の1社。旧称は熊野新宮社です。
【鎮座地】
宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
【御祭神】
速玉男尊
伊弉冉尊
事解男尊
菊理媛神
【創建】
保安4年(1123年)
【祭神について(wikipediaより)】
主祭神は速玉男尊、伊弉冉尊、事解男尊、菊理媛神。
中央の新宮社証誠殿には速玉男尊、東側の那智飛龍権現社には事解男尊、西側の本宮十二社権現社には伊弉冉尊を祀る。
また、十二社権現社の西・老女宮には名取老女と、神代文字(阿比留草文字)で「ククリヒメノオオカミ」と書かれた木札を祀る。
飛龍権現社の東には、社殿は無いものの、神名を記した8本の石の角柱が立ててある。記される神名はそれぞれ天之忍穂耳尊、邇邇藝之尊、彦火火出見之尊、鵜萱草葺不合尊、豊斟渟尊・国狭槌尊、泥土煮尊、大戸道尊、面足尊。
保安4年(1123年)、紀州・熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つ、熊野新宮社として創建。以来、東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇り、中世には名取熊野別当が置かれ宗教的にも軍事的にも大きな権力を持つに至った。
伊達氏の時代においても、永正11年(1514年)伊達稙宗が神領の棟役段銭を免除したことを先例として、晴宗、輝宗、政宗による免除が行われ、以後、歴代仙台藩藩主の種々寄進、奉納を受け伊達家と深い結びつきを持った。
名取熊野三社の中でも最も中心を成していたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と改称。
明治元年(1868年)3月の太政官布達「神仏判然令」により神仏合祀が禁じられたことで、熊野神社所蔵の本地仏をはじめ、法華経、一切経、大般若経、仏具等仏教色のものはすべて文殊堂に移され、その文殊堂も神社境内の南へ移動され、真言宗智山派の熊野山新宮寺に帰属することとなった。
大正10年(1921年)8月27日に郷社、昭和10年(1935年)11月1日に県社に昇格。
【拝殿】風格があります。
昨年は本殿見学会(←その時の記事です)に参加しました
今年もあるのかな?
最後までご覧頂き有難うございますm(_ _)m
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