日御碕神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ひのみさきじんじゃ
日御碕神社
こんばんわ
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【鎮座地】
島根県出雲市大社町日御碕455
- 日沈宮(下の宮)
- 【主祭神】
- 天照大御神
- 【配祀神】
- 天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命
- 活津彦根命、熊野樟日命
- 神の宮(上の宮)
- 【主祭神】
- 素盞嗚尊
- 【配祀神】
- 田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命
- 【社格等】
- 式内社(小)、旧国幣小社、別表神社
- 【創建年】
- 安寧天皇13年(紀元前536年)
- 【札所】
- 出雲國神仏霊場20番
【歴史(wikiより)】
当社は、上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を、日沈宮(ひしずみのみや、日沉の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれる。古くは『出雲国風土記』に美佐伎社、『延喜式』に御碕社とあり、地元では「みさきさん」とよばれる。
社伝によると、素盞鳴尊は出雲の国造りの後、熊成峰に登り、鎮まる地を求めて、柏葉を風で占うと隠ヶ丘に止まった。そこで御子・天葺根命は御魂をその地で奉斎したと伝わり、隠ケ丘(古墳)が現・社殿の裏側にある。日沈宮は元は文島(現・経島)に鎮座し、天葺根命が文島にいたとき、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりと伝わる。
平安時代末期に後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所(すみか)」として記される修験の聖地である。神の宮(上の宮)は、現・社殿の背後にある隠ヶ丘に鎮座していたが、安寧天皇13年(紀元前536年)に、勅命により現在地へ遷座し、日沈宮(下の宮)は、経島(日置島)に鎮座していたが、天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座したと伝わる。
古くから朝廷からの崇敬が厚く、鎌倉時代以降も幕府からの崇敬があり、社殿の修造が行われている。出雲国松江藩初代・堀尾忠氏は、社領780石余を与え、徳川幕府も600石を与えている。山陰において出雲大社に継ぐ大社とされる。
日沉宮、神の宮の現・社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命で、松江藩主・京極忠高により、日光東照宮完成直後の寛永11年(1634年)に造営が始まり、寛永21年(1644年)松平直政の代で竣工する。以降、歴代藩主により崇敬される。両宮とも日光東照宮を模した権現造りである。
明治4年に、国幣小社に列する。
「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事による。
日御崎神社に行く前に寄ってみました。
【稲佐の浜】
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