刈田嶺神社(蔵王町宮)
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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刈田嶺神社
(かったみねじんじゃ)
【所在地】宮城県刈田郡蔵王町宮字馬場1
【主祭神】日本武尊
【創建】伝・延暦10年(791年)
【別称】白鳥大明神
【社格等】式内社(名神大社)、県社、刈田郡総鎮守
※里宮・奥宮がある刈田嶺神社とは同名ですが、由来も祭神も違います。
【歴史(Wikipediaより)】
当地は、蔵王連峰東方、阿武隈川水系白石川と松川が合流する地にあり、奥州街道(現国道4号に相当)と出羽国へと向かう笹谷街道(現山形自動車道、国道286号に相当)とが分岐する交通の要所である。
延暦10年(791年)坂上田村麻呂の一軍が蝦夷征討を行った際、現在の蔵王町市街地を見下ろす青麻山(標高799m)の山頂に若宮白鳥神社の合祀を行ったことに始まる。延暦20年(801年)に若宮白鳥神社で相殿となり、再び青麻山に遷座された。当初は白鳥大明神と呼ばれた。
文献によって、景行天皇の時代日本武尊が東征を行った頃に日本武尊を祀った、穴穂部間人皇女(聖徳太子の母)が当地で斃れたという伝承を創建とするものもあるが、本項では、791年を創建年として記述する。
青麻山は、当時大刈田山薬師嶺と呼ばれており、これが刈田嶺神社の由来である。白鳥大明神は、朝廷や歴代の領主によって大切に保護された。奥州藤原氏、伊達氏からも保護を受け、永正11年(1514年)伊達稙宗の時代に、白鳥大明神を青麻山山頂から現在地に移転させている。現在の社殿は享保3年(1718年)に、白石城主片倉村休により建立されたものである。
明治元年(1868年)刈田嶺神社と名を改め、現在に至っている。また、明治時代に白石城主片倉氏の地方知行内の仙台藩士が北海道に開拓のために向かった際、登別市中央町に刈田神社として当社が分祀されている。
【白鳥古碑群】蔵王町指定文化財
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