日高神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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日高神社
名称には諸説あり、この地が古来より日高見国と呼ばれ、日高見国勢力の中心地であったことや、前九年の役の折に源頼義が祈祷したところ、雨が急に止み日が高く昇り、未の刻(午後2時ごろ)に安倍貞任を討ったことに因むとされる。
妙見菩薩を祀る宮として「日高妙見」や「日高妙見神社」とも呼ばれている。
【歴史(Wikipediaより)】
●創建伝承●
日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。
●平安時代以降●
征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再造させている。慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る。寛永9年(1632年)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築している。
●近代●
明治2年(1869年)胆沢県が置かれると、同4年には県の総社として郷社に列した(郷社の社格は昭和21年(1946年)の神社制度の改廃により消滅している)。
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後ろに他の参拝者が控えており、僕の集中力が足りず今日は特に反応なし
【境内社(祖霊舎)】
●瑞山神社(みずやまじんじゃ)●
留守氏代々の祖霊社で歴代の当主ほかを祀る。留守氏が岩切城(宮城県仙台市宮城野区岩切)にいた頃に岩切の志波彦神社境内に一社を建立して初代伊沢家景以来の霊を祀って保栄堂と称し、その後留守氏が寛永6年(1629年)に伊達家重臣として水沢を所有したのを機に保栄堂を移したもの。宝形造の覆屋の中に寛永15年(1638年)の建築である方1間入母屋造妻入杮葺の本殿が建つ。全面に彩色を施して黒漆の下地に金泥で輪繋ぎ文様や亀甲文を画く等装飾性に優れ、軒下の琵琶板に密陀絵と推定されるもので装飾を施すのも珍しく、昭和47年(1972年)に県有形文化財に指定された。
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