石碑を訪ねて、生まれ育った地元を歩く。【その2】
Source【山形グルメ探検隊】
————————————-
馬見ヶ崎橋から山寺街道を北進し、大野目の国道13号線立体交差のおかげで街道が分断されてしまったところまで到達したところでUターン。
しかし、この工事で街道が分断されてしまったのって、これまでの歴史と文化を断ち切ってしまった感じがあって本当に残念。山寺街道の流れを保つ形にはできなかったのか・・・ 悔やまれます。
それはそうと。
その13号線沿い、そば屋 惣右エ門さんの交差点にやって来ました。
ここの石碑群も子供のころから見ていたものです。
左から順に見ていきましょう。
太神宮の碑。
「龍澤章(?)拝書」とありますが、これって誰なんだろう? どこかのお寺の住職さんかと思うんだけど、探せば見つけられそうな気がしますね。
書体にも忠実に彫ってあるし、右上に落款もあるし、きっと名のある書家だったに違いない。
十八夜供養塔。
宝暦年間、1751年から1764年までの元号ですので江戸時代中期の建造です。
湯殿山大権現の碑。
これは天明年間。1781年から1789年までの元号で、浅間山の大噴火や飢饉が起きた時代だそうです。
灋華供養塔。
いやー、この「灋」っていう字がわからなかったんですけど、「法」の旧字体だったんですね。
法華経の供養塔。左手に願主の人名も彫ってあります。
寛政年間、1789年から1801年の元号です。時代順に並べてあるんですかね。
金毘羅さんの石碑。
これはいつの時代だったか、正面からはわかりませんね。もっとぐるりと見て撮ってくればよかった。
八聖山の碑。
「八聖山」とは、西川町にある八聖山金山神社のことのようです。
西川町の観光ガイドによれば、その神社は出羽三山の道中祈願所として栄えたほか、江戸時代以降は鉱山師、鉱山従事者の信仰を集め、全国唯一の鉱山の神として信仰の対象となったそうです。
この辺で鉱山従事者って・・・ いたのかな?
大乗妙典寒行塔。
「大乗妙典」って書かれた石碑もよく見ますけど、これって法華経のことなんですね。
寒行は、例としては冬の期間に太鼓などを打ち鳴らしながら地区内を行脚したりすることを言うそうなので、かつてここでもそうした寒行が行われていたということを示すものなんでしょう。
文化年間は1804年から1818年までの期間ですね。
くうぅ・・・
後で写真で確認しようと思って、最後の文字を確認してこなかった!
これも「大乗妙典」の碑であることはわかるけど、その次の日本・・・ 廻?
気になりますね!
そして、これも寛政年間と見えます。
そして最後。もうすっかりおなじみの庚申塔。
これは石の状態からも時代が古いのか、建立の時代が読み取れませんでした。
しかし庚申塔ってほんとあちこちにありますよね。どれだけ信仰が深かったのか。
今回ここで見た石碑を調べていただけでも、当時の信仰や風習がうかがい知れて面白いです。
もっと深掘りしたらもっと楽しいんだろうけど、本当にハマっちゃいそうですね 笑
————————————-
もとのWEBサイトでこの記事を読む→石碑を訪ねて、生まれ育った地元を歩く。【その2】



















