西根神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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にしねじんじゃ
西根神社
江戸時代初期に西根堰の開削に尽力した佐藤新右衛門と古川善兵衛の二人を祀っている。付近一帯を潤し、農業発展の礎となった西根堰の用水に感謝した農民が二人の徳を称えるため、西根郷33ヶ村4,231名の発願で、明治20年に建立された。秋季祭礼は、9月14日に行われる。境内は1792年(寛政4年)から明治時代にかけて刈谷藩の陣屋であった土地である。西側には石碑が立ち並んでおり、いずれも古川善兵衛の功をたたえるものである。西根堰上堰取水口付近の穴原地区にあったものや、飯坂温泉街にある稲荷屋旅館の屋敷内に建てられていたものも移設されている。
境内には高畑天満宮(たかはたてんまんぐう)も祀られており、高畑の天神様と呼ばれ地元で親しまれている。1月13日~16日、4月27日に「うそかえ祭」が行われ、延べ数万人が期間中に訪れ、無病息災や学業成就にご利益があるとされる木彫の鷽を買い求める。
【御祭神について(Wikipediaより)】
●佐藤新右衛門家忠公
1573年 – 1637年。伊達郡桑折の地侍。郡役として農民を支配。米沢藩は信夫郡と伊達郡の2郡を、信夫郷、西根郷、東根郷、小手郷の4つに分け、それぞれに村々の役人の見張りをする大肝煎を置いた。この4人の大肝煎を四郡役と呼んだ。佐藤新右衛門は西根郷の大肝煎。大肝煎には、生粋の藩士ではなく、地元の実力者を採用した。佐藤新右衛門は信夫佐藤氏、佐藤基治の18代の子孫。
●古川善兵衛重吉公
1576年 – 1637年。上杉氏米沢藩家臣。福島奉行。信濃国更級郡塩崎城主小笠原九郎左衛門重成の次男。上杉氏が会津に転封されたことにより、信夫郡・伊達郡の郡代となる。
実在した人物を祀る神社です。
さて、仕事に戻ります。
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