津軽国一宮★岩木山神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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いわきやまじんじゃ
岩木山神社
(Wikipediaより)
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢の岩木山の南東麓にある神社。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。旧社格は国幣小社で、津軽国一宮とされる。
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【鎮座地】
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)ー大国主神
多都比姫神(たつびひめのかみ)
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
以上をまとめて岩木山大神と称します。
【社格等】
【由緒(Wikipediaより)】
創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる。
延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた。また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。
寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている。岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された。
天正17年(1589年)、岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼することとなり、以後、再建が進められることとなった。
江戸時代には津軽藩の総鎮守とされ、津軽為信・信牧・信義・信政らの寄進により社殿等の造営が進んだ。特に、信義、信政のときに、現在の拝殿(当時は百沢寺の本堂とされた)や本殿:当時の下居宮)が再建された。
明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年(1873年)、国幣小社に列格された。
【社号標・鳥居】
晴れてれば、ここから岩木山を拝する事が出来るようです。
【両部鳥居】
【参道】
【二の鳥居と三の鳥居】
【御神木の五本杉】
ここ岩木山神社には5柱の神様が祀られてます。そのため、木が5本に分かれてると言われてます。
今まで2本や3本に分かれてる御神木はありましたが、こりゃすげぇわ
【奥富士出雲神社】
参道脇に鎮座されてます。岩木山神社の境内社ではなく、独立した神社のようです。
岩木山のふもとに鎮座する岩木山神社は、古くは「百沢寺(ひゃくたくじ)」という寺院でした。明治の神仏分離によって百沢寺は廃寺となり、岩木山神社と名を変えます。その際、百沢寺の住職が寺の檀家の先祖の霊の祀るため、別社として出雲大神を祀ったのが奥富士出雲神社の始まりといわれています。
エビスさま。
ダイコクさま。
白龍社
【拝殿】
御祭神は顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
(大国主神)
御朱印はあるようですが、頂きませんでした。
【狛犬さん】
勇ましいですね!
そして!
会いたかった狛犬さん
一緒に写真を撮ると願いが叶うと言われてます。下向きが恋愛運アップ。
上向きが金運アップのようです。
1つの岩から1日で加工し、ここまで運んできたらしいです。すごいですねぇ~。
【随身像】
【狛犬さん】
こちらは岩木山への登山口になります。
【手水処】
岩木山から自然ろ過された、まさに御神水です。
【中門】
扁額は北門鎮護。東郷平八郎氏の書です。
【拝殿】
しめ縄が『井』の字に結ばれてます。津軽地方の豊作を願い結ばれてるようです。
【白雲大龍社】
奉納された幟の数を見ると、たくさんの方に崇敬されてるのが分かります。
【狛犬さん】
【拝殿】
【岩木山神社本殿】
参道から拝する事が出来ます。
虎の彫刻があるようです。弘前城から見たら岩木山神社は西の方角にあるので白虎ですね。
【稲荷社】
【拝殿】
龍神さまと稲荷さまは、とても働きが大きい神様とされ、個別の社殿を設けたようです。
突然晴れました
【社務所】
とても立派な、素敵な社務所ですね。
最後までご覧頂き有難うございます。
d=(^o^)=b
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