【全国一ノ宮の旅】鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮)
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ちょうかいざんおおものいみじんじゃ
(わらびおかくちのみや)
出羽國一ノ宮★鳥海山大物忌神社
(蕨岡口之宮)
おはようございます\(^o^)/
本日もご訪問ありがとうございます。
m(_ _)m🤣🤣🤣
【鎮座地】
山形県飽海郡遊佐町大字上蕨岡字松ヶ岡51
【御祭神】
大物忌神(倉稲魂命・豊受姫神と同神)
【社格等】
出羽国一之宮・延喜式内社(名神大社)・国幣中社・別表神社
朝6:00仙台を出発🏍️ブンブン
8:30休憩。
途中にある戸沢村道の駅で小休憩☕️😃🚬
9:30到着~✌️
【社号標】
こちらの神社は基本的に無人です。
【由緒 (境内の掲示より)】
社伝によれば、第十二代景行天皇の御代当国に現れ、神社の創祀は第29代欽明天皇25年(564)の御代と伝えられている。
鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われた。本殿は山頂に鎮座し、麓に「口ノ宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座する。
大物忌神社は貞観4年(862)11月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。後に出羽国一之宮となり、朝野の崇敬を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治3年(1870)神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治4年(1871)5月吹浦口ノ宮が国幣中社に列したが、同13年(1880)7月に山頂本殿を国幣中社に改め、同14年(1881)に吹浦・蕨岡の社殿を口ノ宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。
昭和30年(1955)に三社を総称して現社号となる。山頂の御本殿は、伊勢の神宮と同じく二十年毎に建て替える式年造営の制となっている。現在の御本殿は平成9年(1997)に造営された。
平成19年(2007)当神社の社殿及び随神門・神楽殿が国の登録有形文化財に指定され、平成20年(2008)には、山上本殿から口ノ宮にいたる広範な境内が、国の史跡に指定された。
【随神門】
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