栗川稲荷神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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くりかわいなりじんじゃ
栗川稲荷神社
おはようございます┌(・。・)┘♪
本日もご訪問ありがとうございます。
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【鎮座地】山形県上山市松山1-1-52
【御祭神】稲倉魂命
【由緒】
栗川稲荷神社は、備中国庭瀬の城主松平信通公が城中守護の神として奉祀され、厚く信仰されてきたお社であります。
ところが、元禄十年九月十五日信通公は出羽国上山に御国替を命ぜられました。その時古くから信仰されていた稲荷大神の御神体を捧持して上山に下向することとなり、行列は利根川の右岸、武蔵国北葛飾郡栗橋にかかり本陣に泊ることとなった。一行が寝静まった夜中、白髪の老翁が信通公の夢枕にあらわれ、「吾は汝ノ家ニ祭ラレシ稲荷神ナリ、此ノ利根川ヲ必ズ夜明ケ前ニ渡ラザレバ悔ユルコトアルベシ」と告げると共に夢より醒めた。信仰の篤い信通公は、直ちに家臣を起して、急に予定を替えて、夜の明けぬうちに行列を整い、利根川を渡った。
ところが間もなく、沛然たる豪雨となり、忽ちにして利根川の河水は氾濫し堤を崩し、大惨事となった。然し信通公の一行は稲荷大神の御告げによって、この大難をさけることが出来、新領地上山に無事着任することが出来た。当時期日通りに着任する事が出来ないと大変な咎めを受けた時代であったのである。
このあらたかな御霊験に感銘した信通公は、上山城内に社殿を作り、栗橋の栗と、利根川の川をとって、栗川稲荷大明神とあがめ、いよいよ固い信仰を捧げたのである。
ところが、明治になって、松平家は東京に移り、城内の稲荷神社は顧みる者もなく大変荒廃したのを嘆き、十日町の清水屋中村利藏翁が松平家に願出で、松山台のこの地に社殿を設け、御神体をお移しして奉祀することにしたのである。
ところが、明治になって、松平家は東京に移り、城内の稲荷神社は顧みる者もなく大変荒廃したのを嘆き、十日町の清水屋中村利藏翁が松平家に願出で、松山台のこの地に社殿を設け、御神体をお移しして奉祀することにしたのである。
その後年を重ねる毎に稲荷大神の御神徳を蒙る人々が益々多く、今では県内はもちろん、東北や東京・北海道更には、海外からの参拝者を迎える様になった。
稲荷大神はあらゆるものを生み成し、生活の安寧と幸福を与え給う御神徳から、古来この大神を衣食住の大祖神(おおおやがみ)と尊崇して来ました。又万民豊楽の神霊と仰ぎ、これが信仰を語り伝える奇瑞や御霊験は、古今にわたって光彩を放っております。
なかなか雰囲気ありの神社です。
【御朱印】
令和3年10月3日(日)拝受
最後までご覧頂きありがとうございました。
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