山形の神社

高松山 光明院

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高松山 光明院
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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たかまつさん こうみょういん

高松山 光明院

おはようございます(•‿•)

本日もご訪問ありがとうございます。

m(_ _)m 

 
【所在地】山形県上山市高松53
【宗派】真言宗 智山派
【札所】最上三十三観音霊場 第11番札所
【札所本尊】聖観世音菩薩
【通称】高松観音
 
【歴史・由緒(公式HPより)】

行基が高松の里に小さな庵を作り、しばらくの間住んでいたとき、この像を彫刻して人々に礼拝させたのが始まりで、その後、山の上にお堂を建てて安置した。この観音の霊験が大変あらたかなことが、四十五代聖武天皇の耳に達し、御祈願所に指定されたため、以来、大名から一般の人々に至るまで、参拝者が多かった。時の領主からの信仰もあつく、寺の土地を寄付する人もあり、松平家が上山の藩主となってからは、鎮城護国の霊場として、三十石を寄付した上、例祭には使者を派遣し、祭祀料をお供えして崇敬した。

慶応元年の元旦、山火事のためお堂は火に包まれてしまったが、時の別当、光明法印が猛火の下をかいくぐって、本尊を運び出して事なきを得た。元日の祝い酒に酔って火を出した山守は、悪疫にかかり悶死した。直ぐ再建にかかったが、まだ出来上がらないうちに明治維新となり、観音堂の再建計画も駄目になった。

明治五年になって再建の話がまとまり、さきに本尊を火の中から取り出した光明法印が骨を折り、広い範囲から信者の寄付を集めることが出来た。その年の九月に完成し、盛大な落成祭典が行われた。現在の観音堂はその時のもので、御前仏像も火災の厄を免れた古い彫刻であり、ここは上山十体観音としては、第六番目の霊場となっている。

 

 

到着。

 
【山門(仁王門)】

 
【仁王像】

 
【参道】

 

 
【手水舎】

 
【鐘楼堂】

 
【観音堂】

 
大わらじか奉納されてます。

こちらも彫刻が素晴らしい爆笑 

 
御真言 オン アロリキャ ソワカ

 
 
【御朱印】
令和3年10月3日(日)拝受
 
 

 
さぁ〜て、帰りは蔵王エコーライン口笛

 
うん!絶景だね!

 
10/3時点で紅葉は色付き始めかな。

 
最高なり照れ

 
最後までご覧頂きありがとうございました。
(≧▽≦)

お願い最上三十三観音の旅お願い

 

第1番 鈴立山 若松寺 

第2番 宝珠山 立石寺 千手院 

第3番 守國山 吉祥院 

第4番 大慈山 圓應寺 

第5番 唐松山 護国寺 

第6番 清水山 耕龍寺 

第7番 新福山 般若院 石行寺

第8番 六椹山 妙法寺 宗福院 

第9番 金峰山 松尾院 

第10番 水岸山 慈眼院 観音寺 

第11番 高松山 光明院

第12番 長谷山 長光院

第13番 観音山 常福寺

第14番 金剛山 正法寺

第15番 京集山 観音寺

第16番 長岡山 長念寺

第17番 寒江山 長登寺

第18番 恵日山 慈眼院

第19番 東根山 秀重院

第20番 青蓮山 清浄院

第21番 如金山 喜覚寺

第22番 祥雲山 龍護寺

第23番 光沢山 円照寺

第24番 宝沢山 薬師寺

第25番 弘誓山 養泉寺

第26番 川前観音堂

第27番 深堀観音堂

第28番 塩沢山 曹源院

第29番 石水山 西光寺

第30番 鷹尾山 般若院

第31番 浪高山 東善院 光清寺

第32番 慈雲山 明学院

第33番 庭月山 月蔵院

番  外 臥龍山 天徳寺

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もとのWEBサイトでこの記事を読む→高松山 光明院

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