高瀬の地には石造文化が花開いていた!
Source【山形グルメ探検隊】
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土曜日の高瀬地区。紅花まつり会場のすぐそばに気になるものを見つけました。
休石。
もう1000年以上も前、慈覚大師(円仁)が二口街道を通ってここ高瀬へとやって来たとき、足の疲れを感じてここにあった石に腰を下ろして休んだことから、ここに石堂を設けてその石を大切に祀るとともに、この地区の名前も休石とした、とのこと。
この手前にある石が、その逸話にある休石なのかな?
なんか道路のすぐそばにそんな地区の歴史に関わるような石があったとは・・・
そんな石との出会いもあって、その後も目にする「石」が気になっちゃいました(^^;
紅花まつりの第二会場、高沢の紅花畑に向かう途中、道路横に並んでいた石碑群。
これも旧二口街道沿いに並んで立っていた石碑を、道路が新しく開通することに伴って場所、位置、順序などを忠実に再現して改修・復元したのだそう。
石碑はそれぞれ、湯殿山信仰であったり十八夜塔、庚申塔といったもの、あるいは観音像の姿が彫られたものとさまざまあって、この地でどんな信仰や風習があったのかが伺える石碑群となっていました。
写真撮ってきたけど、石に彫られた文字って後から写真で見てもよくわからないんだよねー。
またちゃんと見に行ってみたいな♪
以下、高沢へ向かうルート上にあった石碑や石造物をちらほら写真に収めてみました。
これは遠く先に写っている水村観音に向かう参道の入口。一瞬、石柱が両側に立ってるのを鳥居の柱か?と思ったんだけど、観音様だから鳥居はないもんね(^^;
そのほかの石碑は詳しく確認できず。
さらに上っていくと、普通に駐車場のように使われているスペースにも、ふと横を見るとこんな石碑(しかもけっこうデカいやつ。)がさりげな~く立ってたりして。
これも中に入って確認するのは控えましたが、なんの石碑なんだろう?
そしてそのすぐ先には、またもや小規模な石碑群。
しかもバス停の背景を飾ってるし!!
車を狭い車道に放置したまま写真を撮ってたので、時間がなくて石碑の文字を詳しく見てる時間はなかったんだけど、きっとこの地区の風習や信仰を色濃く映し出したものなんだろうな♪
お地蔵様です。
前に頭加智地蔵尊のところにもあった、人の姿をシンプルに表したお地蔵さんの像が柱の六面に彫られた「六面幢」柱。
なんかこのシンプルでかわいいお地蔵さんのデザインって凄くいいと思うんだよねー。
でもよく見てみたら、これって六角柱になってる? 六地蔵じゃないんじゃない?
ちゃんと確認してこなかったのが悔やまれるけど、今度現地の人に会ったら聞いてみよっと。
さらに上っていくと、普通に住宅前にこんな石碑が並んでたりします。
やっぱ高瀬地区って凄くない(; ・`д・´)!?
生活の中にこんなに石造物があふれてるところってそんなにないと思うんだけどなー。
蔵王成沢地区あたりは竜山信仰とか石造文化が根付いていたって言われているけど、こちら高瀬地区も負けず劣らず素晴らしい石造文化が浸透していたに違いない(゚▽゚*)ニパッ♪
ほんとに上の方に来ると、道路からちょっと離れたところにある平地に、こんな小さなお社がポツンとあったりするんだよね。
これは何の神様なんだろう?
道路からは見えなかったんだけど、わざわざ奥まで入っていくのも面倒だったから行かなかった(^^;
でもお社だったら今でも誰かちゃんとお祀りしてるのかな・・・
そしてこれが高沢の紅花畑に至るすぐ手前にあった石碑。
けっこう大きなものだったけど、道路わきにドーンとひとつだけ立ってたんだよね。
近くまで行ってみたら、なんとか供養、っていう文字は見えたけど、全体としてはなんて書いてあるのかよく判別できなかった(>_<)
お墓じゃないと思うんだけど、もしお墓だったらこんな写真なんか撮ったりしてバチが当たるんじゃなかろうか・・・(;´・ω・)
それにしても、こんな山に向かう途中の道沿いにこんなに石碑がたくさんあるとは思わなかった。
この道沿いって、さっきの休石とか復元された石碑群とかの説明書きにあった「二口街道」に沿って置かれていたってコトなのかな?
だったらこの先の山道にもかつての街道があって、そこにもいろんな石碑が残されてたりとか・・・
凄いな、高瀬。知られざる歴史遺産がまだまだ眠ってそうな感じがするね!
機会があれば、もっと山の上まで・・・ 行けるのか(´・ω・`)?
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