山形の神社

深掘観音堂

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深掘観音堂
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ふかほりかんのんどう

深掘観音堂

 

おはようございますm(_ _)m

こんにちは(⁠^⁠^⁠)

こんばんわ(⁠•⁠‿⁠•⁠)

ご訪問ありがとうございますニコニコ 

【所在地】山形県北村山郡大石田町豊田595

【宗派】曹洞宗

【札所本尊】聖観世音菩薩

【通称】深堀観音

 

 

 【由来・歴史(公式HPより)】

昔、都に安戸見一尾という人が、この尊像を持っていたが、その子孫が没落したため、朝夕のお勤めも思うようにならなくなった。そのため、不敬に取扱うことを心配して比叡山に奉納した。

その後、安戸見一尾の子孫である川辺市正という武士が、祖先が崇拝した仏であることを知り、須磨寺から貰いうけて守護仏とした。さらに長谷川盛易の手から大和の国橘寺に納めた。

続いて、大阪夏の陣の時、九鬼一之進がこれを頂いて戦場に出た。九鬼はこの仏を松永弾正に譲ったが、松永家は徳川幕府に仕え数代の後に浪人となり、奥州白河に住んだ。その子孫が山形市外の古館に住んだが、尊像は大竜寺に安置された。先に深堀にあった観音像が何者かに盗み去られ、村人は適当な仏像を探し求めていたが、大石田の立光庵の海存坊が、大竜寺にある尊像を譲り受けた。

深堀、香林山清行院、宗順法印の代で正徳六年九月十六日の事である。それから明治維新となり、神仏混淆を禁じられたため、修験宗の清行院住職法印は神官に復職して行沢糺と改名、明治十一年観音と関係断絶、観音は行沢家より村民に移り交代で管理することになつた。

ここの尊像は天井裏板の上に安置してあり、屋根換え工事の時でなければ開帳されない。現在のお堂は今から約二百年前の元文元年。

 

 

到着🏍

【由緒板】

【札所標】

【観音堂】

こちらの御朱印所も別当宅です。
個人宅の駐車場に停める事に抵抗があるので、路肩に停めます。バイクで来て正解照れ
【御朱印】
令和5年10月14日(土)拝受

最後までご覧頂きありがとうございました。

m(_ _)m

お願い最上三十三観音の旅お願い

 

第1番 鈴立山 若松寺 

第2番 宝珠山 立石寺 千手院 

第3番 守國山 吉祥院 

第4番 大慈山 圓應寺 

第5番 唐松山 護国寺 

第6番 清水山 耕龍寺 

第7番 新福山 般若院 石行寺

第8番 六椹山 妙法寺 宗福院 

第9番 金峰山 松尾院 

第10番 水岸山 慈眼院 観音寺 

第11番 高松山 光明院 

第12番 長谷山 長光院 

第13番 観音山 常福寺 

第14番 金剛山 正法寺 

第15番 京集山 観音寺 

第16番 長岡山 長念寺 

第17番 寒江山 長登寺 

第18番 恵日山 慈眼院 

第19番 東根山 秀重院 

第20番 青蓮山 清浄院 

第21番 如金山 喜覚寺 

第22番 祥雲山 龍護寺 

第23番 光沢山 円照寺 

第24番 宝沢山 薬師寺 

第25番 弘誓山 養泉寺 

第26番 川前観音堂 

第27番 深堀観音堂

第28番 塩沢山 曹源院

第29番 石水山 西光寺

第30番 鷹尾山 般若院

第31番 浪高山 東善院 光清寺

第32番 慈雲山 明学院

第33番 庭月山 月蔵院

番  外 臥龍山 天徳寺

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