大正天皇 多摩陵
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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武蔵陵墓地
大正天皇 多摩陵
おはようございます。
ご訪問ありがとうございます。
静岡県の旅を終え仙台へ帰る時、当初の予定は神奈川県(鎌倉・横浜)経由で帰ろうと思ってましたが変更して、こちらに来ました。
平成から令和になった時、神社やお寺、神道、仏教、天皇、日本史などに興味を持たれた方もいることでしょう。
僕もその中の一人で、令和になり「御陵印」の存在を知り、全国一ノ宮神社巡りをするなら、天皇御陵も巡ろうと「御陵印帳」を購入。
武蔵陵墓地に到着。
日曜日の朝。とても静かな朝です。

【案内板】

武蔵陵墓地は八王子市長房町にある皇室墓地。
大正天皇陵・貞明皇后陵・昭和天皇陵・香淳皇后陵の4陵が造営されてます。(wikiより)

神社巡りと違い、少し緊張してます

【手水舎】
柄杓は撤去されてます。

日曜日ですが、参拝者は2〜3人ほど。

まずは大正天皇御陵から参拝に向かいます。

たいしょうてんのう たまのみささぎ
【大正天皇 多摩陵】

【概要(wikiより)】
1926年(大正15年)12月25日に崩御した大正天皇は、翌1927年(昭和2年)2月7日に新宿御苑において斂葬の儀(葬場殿の儀、大葬)が行われ、翌8日に陵所に埋葬された。陵墓は、前年10月に公布された皇室陵墓令に基づいて当時の東京府南多摩郡横山村から浅川村、元八王子村の御料地内に造営され、1月3日に日枝神社宮司による陵所地鎮祭が行われた。
横山村の地が選ばれた理由は、地震を考慮して地盤が強いこと、万葉集に「多麻の横山」と詠まれたことなどによる。また墳丘の型式などは伏見桃山陵(京都市伏見区)が参考にされた。敷地内には数戸の農家や東照寺や長泉寺などの寺社、民間墓所などがあり、交渉をして移転が行われた。こうして東京奠都後の陵墓地が始まった。
陵域の面積は2,500平方メートルあり、陵の形態は上部2段・下部3段の上円下方墳で南面している。上円は直径15メートルで高さは10.5メートルあり、一番下部の段は一辺27メートルの正方形で多摩川の石が葺き石として用いられており、南面は前方部の形をとっているので前方後円墳のような形をしている。これは奈良県桜井市の伝舒明陵古墳の形状に酷似している。
鳥居を隔てて、陵の正面に皇族拝所がある。階段を下ったところに特別拝所があり、さらに下ったところに一般拝所がある。皇族拝所と一般拝所には鳥居が設けられている。
また、墓地正門から陵に至るまでの間、京都より取り寄せた北山杉を120本植えた並木道が形成されている。北山杉の高さは、植林当初は人の背丈の2倍ほどであったが、現在は20mを超すまでに成長している。
毎年12月25日には陵および皇居宮中三殿で大正天皇例祭が行われている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行われる。

参拝作法は特に指定されてません。
鳥居があるから神社の作法?
お墓なのでお寺の作法?

常香炉があるわけでもないし、仏教的な作法は違うな。
後で調べたら、神社の参拝作法でOKとの事。
僕の前の方は、深く1礼してました。
こちらでも問題ないでしょう。
ていめいこうごう たまのひがしのみささぎ
【貞明皇后 多摩東陵】

【概要(wikiより)】
1951年(昭和26年)5月17日に崩御した貞明皇后は、6月22日に斂葬の儀が行われ、陵所に埋葬された。
陵は大正天皇陵のほぼ東に位置し、そのため「多摩東陵」と命名されている。陵の構成は一般拝所に段がないことを除けば、大正天皇陵とほぼ同じである。
毎年5月17日には陵および皇居宮中三殿で貞明皇后例祭が行われている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行われる。

貞明皇后陵で参拝したあと、ひどい目眩と立ち眩み。何故か涙が流れてきました


あぁ〜ビックリした

「憂い」「危惧」「心配」の感情を強く感じました。

それは今の日本に対して? 日本人に対して?
大正天皇皇后両陛下の御陵をあとに、昭和天皇陵に向かいます。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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