四寺廻廊巡礼記 4巡目④ 中尊寺【結願❗️】
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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かんざん ちゅうそんじ
関山 中尊寺
円仁は下野国(現在の栃木県)に生まれ、9歳で仏門に入り比叡山延暦寺の最澄の弟子となった。838年(承和5年)には入唐して五台山や長安で仏教を学んだ。帰国後、第3代天台座主となって天台宗の布教に尽くし、死後に朝廷より慈覚大師の諡号を贈られた。円仁の東国巡錫の歴史的記録は定かではないが、関東・東北地方には円仁が開山したり再興したりしたと伝えられる寺院が数多く存在する。瑞巌寺は828年(天長5年)、中尊寺と毛越寺は850年(嘉祥3年)、立石寺は860年(貞観2年)にそれぞれ円仁により開山されたとの寺伝を持つ。
また、1689年(元禄2年)には俳人の松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で四寺を訪れている。松島では同行の門人・曽良が「松島や 鶴に身を借れ ほととぎす」の句を残し、平泉で芭蕉は「夏草や 兵共が 夢の跡」「五月雨の降残してや光堂」の二句を、山寺では「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と詠んでいる。
以上の歴史背景を縁として、2003年(平成15年)6月13日、四寺が連携して「みちのく古寺巡礼 四寺廻廊」が発足した。6月13日は慈覚大師円仁が838年(承和5年)、遣唐使とともに博多津より求法の旅に出航した日に当たり、毎年四寺の僧侶が参集して慈覚大師報恩法要が執り行われる。
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。
中尊寺は天台宗の天本山であり、本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されています。中尊寺の寺格は別格大寺、天台宗東北大本山です。” style=”color: rgb(0, 0, 0); text-decoration-line: none; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro", "ヒラギノ角ゴ Pro W3", Meiryo, メイリオ, Osaka, "MS PGothic", arial, helvetica, sans-serif; font-size: 16px;”>
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院(大寺の中にある小院)で構成される一山寺院です。本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建されました。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像です。中尊寺の大壇主藤原清衡公が「丈六皆金色釈迦」像を鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことにならい平成25年(2013)に造顕・開眼供養されました。
中尊寺は天台宗の天本山であり、本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されています。中尊寺の寺格は別格大寺、天台宗東北大本山です。
【宗派】天台宗
【寺院本尊】釈迦如来(本堂本尊)
【寺格】東北大本山
【創建】伝・嘉祥3年(850年)
【開山】伝・円仁(慈覚大師)
【札所1】奥州三十三観音霊場 番外札所
【札所2】四寺廻廊
最後までご覧頂き有難うございます。
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