岩手山神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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岩手山神社
(いわてさんじんじゃ)
本日もご訪問頂き有難うございます
令和元年5月4日(土)。
雲ひとつない岩手山。きれいですね
雪解けの模様が鷲のように見える事から、別名は巌鷲山(がんじゅさん)と。本来「いわわしやま」と呼ばれていたものが「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われる。(wikiより)
岩手山神社と称する神社は三社あるようですが、今日は雫石町の岩手山神社へ。
【社号標・鳥居・扁額】
【弐ノ鳥居】
【参道】
伊勢巡りで行った、瀧原宮を思い出すような並木道
ゆっくり深呼吸
【参ノ鳥居】
【龍神さまの石像】
【御神木の夫婦杉】
【手水舎】
【狛犬さん】
【拝殿扁額と彫刻】
【由緒(神社庁HPより)】
坂上田村麻呂将軍が、岩手山にこもる賊・赤頭の高丸を討伐のため御陣小屋を設けられたところと伝えられ、南部叢書に大同2年(807)田村麻呂創建と記されてある。地方の人たちは、お山の権現様といった。昔から陸奥国総鎮守として旧領主南部公の崇敬が篤かった。
歳代日記に「延宝2年(1674)南部重信公、新山堂を再興す」文政5年(1822)雫石御中惣勧化にて新山堂再興する。別当は雫石の円蔵院山伏で部下9人、藩政時代は絶大の権力者で、慶長8年(1603)10月20日、南部利直公より岩手山西口別当を命ぜられ44石5斗1升を賜っている。
祭日には円蔵院は藩公名代として行列を揃え、新山堂に参詣したという。お山権現様の遙拝所であった。成人男子は精進潔斎して登山し、女子禁山であった。
歳代日記に「延宝2年(1674)南部重信公、新山堂を再興す」文政5年(1822)雫石御中惣勧化にて新山堂再興する。別当は雫石の円蔵院山伏で部下9人、藩政時代は絶大の権力者で、慶長8年(1603)10月20日、南部利直公より岩手山西口別当を命ぜられ44石5斗1升を賜っている。
祭日には円蔵院は藩公名代として行列を揃え、新山堂に参詣したという。お山権現様の遙拝所であった。成人男子は精進潔斎して登山し、女子禁山であった。
【鎮守奉献の碑と権現社】
【御祭神】
宇迦御魂神
大穴牟遅命
日本武尊
御朱印はあるようですが、事前情報で常に無人の神社なのは知ってましたので御朱印は頂いてません。
例祭日か事前に宮司さんへ連絡すれば頂けると思います。
最後までご覧頂き有難うございます
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