【全国一ノ宮の旅】水無神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ひだいちのみや みなしじんじゃ
飛騨國一ノ宮★飛騨一宮水無神社
創建の年代は不詳であるが、清和天皇の時代に従五位上の神階の記事がある。『延喜式』では小社に列格し、飛騨国の一宮とされた。鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕した。近世には水無大明神・水無八幡宮と称した。戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄5年(1692)から吉田神道系に属するようになった。
1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となる。騒動に加担した廉で神職の山下和泉守と森伊勢守が磔に遭い、大原紹正が同7年(1778年)に信濃国今井より梶原家熊を招くまで高山に神霊が移された。梶原家熊は唯一神道に基づいて仏教を一掃し、阿弥陀如来像並びにに仁王門を一位山往還寺に、その他の仏具等を袈裟山千光寺に移した。 1871年 (明治4年) に近代社格制度において国幣小社に列格した。戦後は神社本庁の別表神社に指定されている。
1871年(明治4年)、国幣小社に列格した。明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めていた。昭和7年(1932年)に例祭で用いるどぶろく醸造許可を得た。
1945年(昭和20年)8月22日から同年9月19日までの間、熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難していた。昭和27年(1952年)より養蚕と農業の振興を祈願する生きびな祭りが始まった。
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