【全国一ノ宮の旅】素盞嗚神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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すさのおじんじゃ
備後國一ノ宮★素盞嗚神社
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【鎮座地】
広島県福山市新市町大字戸手1-1
【御祭神】
素盞嗚尊
【配祀神】
稲田姫命(素盞嗚尊の妃)
八王子(素盞嗚尊の御子神)
【社格等】
式内社(小)、備後国一宮、旧県社
【創建年】
伝・天武天皇年間(673年~686年)
【歴史(wikiyより)】
社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年頃)に創建したとされる。その後、遣唐使であった吉備真備が唐から帰国した後の天平6年(734年)に備後から素盞嗚命を播磨の広峯神社に勧請したとされる。
『釈日本紀』巻7(卜部兼方、鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文(奈良時代か)の「蘇民将来」説話に「疫隈國社(エノクマノクニツヤシロ)」とあるのが当社とされるが、本来は摂社である「蘇民神社・疱瘡神社」であるとする説もある。『延喜式神名帳』には「備後國深津郡一座 須佐能袁能神社」と記載されている。
後に神仏習合によって仏教系の神である牛頭天王を祭神とするようになり、「早苗山天竜院天王寺」という真言系の別当寺が作られた。本堂である本地堂(現 天満宮)には本尊本地仏として聖観世音菩薩が祀られた。一般に牛頭天王の本地仏は薬師如来であるが、当社の観音祭祀の理由は不明である。また脇侍に不動明王と毘沙門天が祀られた。「江熊(エノクマ)祇園牛頭天王社」が正式な社名であるが、天王社、祇園社などとも呼ばれるようになった。
明治の神仏分離により、神社の道を選んだ当社の別当僧は還俗して神官となり、祭神は本来の素盞嗚尊に改め、現在の社名に改称した。
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