豊烈神社
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ほうれつじんじゃ
豊烈神社
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山形市神社ぶらり2社目は豊烈神社さん。
【鎮座地】
山形県山形市桜町7-47
【御祭神】
豊烈霊神(水野忠元公)
英烈霊神(水野忠邦公)
八坂大神(素盞雄尊)
稲荷大神(倉稲魂姫命)
山ノ神(大山祇神)
水野三郎右衛門元宣公以下明治維新殉難者24柱
【歴史】
豊烈神社の創建は文政4年(1821年)に水野忠邦が当時の居城である浜松城の城内に藩祖水野忠元を祭神として社殿を建立したことが始まりとされます。その後は水野家の氏神として崇敬庇護され、弘化5年(1848年)に水野忠精が山形藩移封に伴い豊烈神社も山形城の2の丸付近に遷宮されます。
幕末の戊辰戦争の際、山形藩は白石城で行なわれた奥羽越列藩同盟に調印した為、反政府軍となり敗戦、明治3年(1870年)水野忠弘は朝日山藩に移封となり、豊烈神社は下総山川(現在の茨城県結城市大字山川、水野忠元は大坂の陣の功により元和元年:1615年に山川藩3万5千石が与えられ始めて諸侯に列し関係で水野家歴代の墓碑も山川に残されています。)に遷座します。
明治13年(1880年)に旧山形藩士達が旧藩主を偲び、山川にある豊烈神社の分霊を勧請し現在地に社殿を造立、明治41年(1908年)に近隣にあった八坂神社と稲荷神社を合祀し大正2年(1913年)には山川の本社もここに遷座併合しています。
例祭で奉納される「豊烈神社の打毬又は山形豊烈打毬」(文政4年:1821年、水野家の藩祖の霊を慰める為に豊烈神社に奉納)は古式を伝えるものとして宮内庁(奈良時代以降の宮中行事)、青森県八戸市(長者山新羅神社:八戸三社大祭で奉納、文政10年:1827年)と共に日本三古式打毬の1つとして貴重な事から山形市指定無形民俗文化財に指定されています。
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