今回は、鈴川地区の歴史をおさんぽ探検!
Source【山形グルメ探検隊】
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僕の実家は鈴川地区にあるんですが、この前実家に行くときに散歩しながら行ってみたんですよ。
最近、散歩しながら車ではなかなか気づけない街の面白さにハマってるので、実家にも歩いて行ってみようと、奥さんと二人で歩き出したのでした。
さぁ、いよいよ鈴川地区。というか僕の実家近く。
あらためて、歴史を感じられるもの、面白いものはないかとキョロキョロしながら歩いてみました。
馬見ケ崎橋の東たもと。
大きな石碑が建ってます。庚申供養塔。これ、僕が小さい頃からずっとあって、もう当たり前の光景なのですが、住宅街の中に普通にこういう石碑があるのが鈴川地区なのかもしれないですね。
他の地区でもそういうところはあるかもしれないのですが、そこはこれからぜひ歩いてみたい♪
さっきの石碑の向かい側。
ここも昔から知ってはいたけど、ちゃんと見てみたことはなかったんですよね。
竹駒稲荷神社。調べてみたら宮城県岩沼市にある神社で、日本三稲荷に数えられる由緒正しい神社とのこと。
でもお稲荷さまのお社はもう空になってましたね。一応お詣りしましたが、なんか残念。
もっと早く調べて知っていれば、ちゃんとお詣できたかもしれなかったなー。
双月垂松(さがりまつ)石塔郡。
子供の頃は「さがりまち」だと思ってたけど、途中で垂松という地名だと知ったんだよね。
湯殿山、蔵王大権現、金比羅さま、それに太神宮と庚申塔もありますね。確かに石塔郡というくらいに集まってます。
なぜにここに?と思ったら、ちゃんと横に説明が書いてありました。
こちら、以前は電器店だったんですよね。
うちの奥さんが気づいたんですけど、こちらの建物、実はさりげなく電気屋さんらしいこだわりが隠されてたんですよね。
2階部分の外壁なんですが、よーく見ると・・・
テレビのブラウン管画面のデザインで、画面にSHARP って書いてある!
よく気づいたなー。素晴らしい発見!
ここに限らず、昔の建物ってけっこうデザインに凝ってましたよね。洒落っ気というか、粋でしたよ。そんな建物がどんどんなくなっていってるのが残念なんですよねー。
いよいよ実家近くになってきた 笑
川原宿町内会の集会所敷地にある・・・ いや、逆か!
子供の頃からよく遊び場になっていた場所なんだけど、ここにあるのは如意輪観音堂。
知らなかったけど約350年も前の観音様が祀られているらしい。
へぇー。そんなところで、僕はずいぶん罰当たりな遊びをしてきたんだな 笑
秀鳳酒造場さんの辺りを通過して、さらに東へ。
こちらは竹駒大明神。
これも子供の頃からずーっと目にしていた石碑。さっきの竹駒稲荷神社と同じだよね。きっと何か関係がありそうだけど、詳細はわからず。
和合十八夜観音堂。
和合はこの辺の町名で、道の両側に石碑などが建っているのだけれど、十八夜、あとは稲荷大明神という石碑のほかは何と書いてあるか読み取れなかった。
お墓なのかな?ってものもあったけど、まさか・・・ ねぇ。
こちら、住宅街のちょっとした空き地というか、民地の一部にある太神宮と、おそらく蔵王山の石碑。
左の太神宮の石碑には「文政十三年」という文字も刻まれてたけど、そうするとこの石碑は・・・
206年も前からここにあるっていうことか!
東北中央病院に向かう通りに出てきました。
写真奥が病院方向。こちらの自動販売機を収める建物、僕が子供の頃には普通のお店だったんだよね。
それがお店をやめてしまって、しばらくしたらこういう自動販売機を中に収める「お店」になったんだよね。でもこんなにツタは張ってなかったけど・・・
こちらは八幡神社。右の石碑は庚申塔。
庚申塔もホントあちこちにあるけど、気づいてみれば六椹八幡宮に代表されるように、八幡神社もまたあちこちにあるよね~。これって山形だけなのかな。
それにしても、この神社も住宅地に紛れてある感じ。普段の生活に溶け込んでる感じだよね。
これはおそらく堰。
鈴川~双月を歩いているとけっこう高い頻度で目にしたんだけど、たぶん馬見ヶ崎川からこっちに引かれている堰と言えば・・・ 双月堰じゃないかしら!
僕の実家の裏にも昔は小川が流れていて、二ホンザリガニを獲ったりして遊べたんだよね。
もしかしたらそれも双月堰の末端だったのかもしれないな~。
この灯篭は・・・ 庭多唎権現堂って書いてある。
庭多唎権現堂っていったら、もっと東北中央病院の方に行ったところの山際にあるお堂だよね。
ここはその権現堂に向かう参道だったのかもしれないよね。
ただ、どこが参道の扱いになっていたのかはわからないけど。
そして最後は無量寺さんのところを通って、13号の歩道を南下し、山形大橋の手前から歩道橋を渡って小白川の八小方面へと向かいました。
無量寺さんは今まであまりきちんと詣でたことがなかったんだけど、通りから見えるこの石碑と祠。
かつてここの山を切り開いて13号のバイパスを通したとき、なぜか事故が続いて、きっと山を切ったせいだという話が出て、その祟りを鎮めるためにここに祠を建てたのだとか。
僕も聞いた話だから本当かは知らないけど、今度ここにお参りしながら確かめてみたいと思います。
鈴川地区の一部だけど、自分の地元ながらずいぶんディープな散歩ができました♪
地元ということもあって、かなり楽しかった!
やっぱり散歩は楽しいですね。今度は自転車でどっか遠くに行ってから散歩してみようかな。
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