山形の神社

野中神社

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野中神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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のなかじんじゃ

野中神社

 
おはようございます\(^o^)/
 
本日もご訪問ありがとうございます
m(_ _)m
 
毎月11日が縁日です。
市内に用事があったので寄ってみました。
新型コロナの影響で一番町はガラガラです。

【由緒】

慶弔5年(1600年)関ヶ原の戦いでの戦功(せんこう=戦争であげた功績・戦いの手柄)により新たに刈田郡を加増(かぞう=領地・禄高(ろくだか=武家時代に、主人から与えられる給与の額)などを加え増すこと)された伊達政宗公は、城を岩出山から千代(せんだい)に移すことになりました。この年の12月24日政宗公は青葉ヶ崎(本丸の地。仙台城の俗称を青葉城と呼ぶのはこのため )に登って築城の縄張りをおこない「千代」の地名を「仙臺」に改めました。今から約400年前、政宗公が34歳の時のことです。

かくして、あくる慶弔6年(1601年)正月11日を吉辰(きっしん=よい日。めでたい日。吉日)として縄張始(なわばりはじめ=縄を張りめぐらして境界を定める)の指揮をあげ、あらかじめ設計された絵図に従って町割(まちわり=町の区画。計画的に土地を仕切ること)が進められ1月末には完了しました。

また城普請(しろぶしん=城の工事)と城下建設の工事も同時に始められました。

家臣と町人が岩出山から仙台に移ったのは慶長6年とも7年とも言われますが、その時の仙台の戸数は1万8百、人口5万2千と全国屈指の大城下町と呼べる都市でした。

野中神社のあるところは城下建設にあたって、政宗公が城下の中心点と定めたところであると言われ、町割の縄張りに使った縄を集めて土中に埋め、その上に野中神社を祀ったと言い伝えられています。旧暦6月24日が祭礼とされ仙台の夏祭りの一つでしたが、今は三社まつりとして毎年7月下旬に一番町をあげての盛大なお祭りが行われています。

現在の社殿は昭和63年に再建したもので、縄にちなんで縁結びと商売繁盛の神として崇拝されています。

やはりお休みです。

全国各地で外出自粛ですが、無人の寺社なら行ってもいいかなぁ?

最後までご覧頂き有難うございます

d=(^o^)=b

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もとのWEBサイトでこの記事を読む→野中神社

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