疫病退散★二柱神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ふたはしらじんじゃ
二柱神社
おはようございます\(^o^)/
本日もご訪問ありがとうございます
m(_ _)m
新型コロナの影響で今月10日まで工事はストップになりました
なので、、、
G・W前に社長から頼まれた『物件』のデータ整理&提出。
明日は詳細を打ち合わせです
今日の午後は休工してる現場のパトロール
泉区界隈をパトロールしたので寄ってみました。
✍️神社情報✍️
【鎮座地】
宮城県仙台市泉区市名坂字西裏61
【御祭神】
伊邪那岐命、伊邪那美命
【御神徳】
良縁成就・家内安全・安産祈願・子授け・成長祈願・無病息災・諸願成就など
【創建年】
万壽2年(1026年)
【由緒(神社庁HPより)】
当社は万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現七北田東裏)に創祀(社蔵記録)される。その後、天正年間(1573年~)には国分氏の荘園33村の内市名坂・七北田・北根・野村・上谷刈・古内・松森・鶴が谷8村の総鎮守として祀られるに至る。国分氏が没落して後伊達氏の時代、万治年中(1658年~)七北田・市名坂に宿場が開設されるやうになり神社も亦市名坂冠川の沿岸清浄な岩壁上に霊地を卜占し、寛文2年(1662年)4月現在地に御遷座した。別名を「仁和多利大権現(ニワタリダイゴンゲン)」と申し、特に子供の無病息災をお守り下さる「おぼつ子(子ども)神様」として霊験あらたかにましますと伝へられてをる。また明治5年9月、七北田村村社に列せられ神社境内地の整備等の事業を推し進めるなか、昭和4年8月31日未明、原因不明の怪火により社殿は全焼す。現在の社殿は満洲事変以後の極めて困難な時世に役員・氏子の10年に亘る赤誠溢れる努力のもと、昭和16年竣工したものである。現在では、良縁を願う若者たちの参拝が途切れることがありません。
【境内社(雷神社)と忠魂碑】
安永風土記書上にも見える小社で、勧請は寛文7(1667)年7月25日とされ七北田・市名坂地区青年会により維持されてきました。昔は境内に土俵があり、祭日には相撲が盛んに行われました。江戸相撲大関関ノ戸徳右エ門は松森の出身で、この土俵より生立ちましたた。また農耕神ともされ、早魃が続くと神社に集まり太鼓・鐘を鳴らして雨乞いをしたと伝えられます。旧社殿地(七北田横山地)は宅地開発により移転を余儀なくされ、現在は二柱神社に祀られています。
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