アイヌ語の神様★冰上神社
Source【心の癒し~神社・仏閣巡り~】
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ひかみじんじゃ
冰上神社
氷上神社と表される場合もあります。
1年ぶりの参拝です。
前回訪れた時、宮司さんに案内され、拝殿内を拝見する事ができました。おしゃべり好きな宮司さんです。
【由緒(神社庁HPより)】
延喜式内三社・国史所載社・気仙総鎮守
勅宣正一位氷上三社。
いつの祭祀か詳かではないが、上古よりの祭祀と伝えられている。気仙に官が設置以前より三峰に三社鎮座せられ、往古より郷民氷上山を信仰の聖地とし、三峰を霊峰と称えて尊崇した。衣太手神社(東御殿)、登奈孝志神社(中御殿)、理訓許段神社(西御殿)三宮を総称し氷上三社と称す。古記によると、氷上山はお山と称し山名を称さなかった。気仙郡に官を置くに当たり、始めて気仙山と名づけ、後に日の上山と改めた。暁光七彩の雲間より旭昇天を拝しての尊称と思われる。
又、往古より山頂野火多く発生したが、三社付近で自然に消滅した。かくて火伏の神徳垂れしものとして、日の神・火の神の音相通ずる『火の上』と改めたとも言われている。以後の主な由緒を次に列挙する。
1、後光明帝正保元年(1065)村上織部道慶氷上三社別当神主熊谷修理に託し、又三社に誓約して辞世の和歌を詠じ、泰然として自ら頸を刎ね、首体の流るること其の言の如く、両邑漁民唖然として和解す。義民道慶と称え、川の神として祭る。
辞 世の歌
誠あれやこの身すてて行水の瀬は渕となる末の世までも
濁りなき名に負ふ水のあわれ知れ世の仇波に浮き沈む身を
1、中御門帝亨保8年(1723)春、陸奥守伊達吉村卿領内巡視の折り、雨降り雨続き
夜となり進退極まった。高田・今泉郷民集まり氷上山の社に願を掛け、如意山金剛寺に安泰を祈念した。不思議忽ち雨止み、卿御神徳の深さに感じ、和歌二首を詠じ、当社に奉納す。
あま雲の空にぞ晴るる名にたかき日のかみ山の恵しられて
夜の程の雨さへ晴れて祈りにし民の心やすゑとをりけん
1、文化12年(1815)12月10日神階位最高勅宣正一位気仙総鎮守氷上神社大明神を授けられる。
1、明治5年郷社に列せられ、気仙総鎮守として、郡門一円を崇敬者と定められた。
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