二口街道を歩く! ~ 三の丸から風間まで ~
Source【山形グルメ探検隊】
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昨日は旧街道の羽州街道を南へと行ってみたのですが、この前は二口街道を歩いてみようと、奥さんと二人でハイキングに出かけてみたのでした。
まだ熊の出没が続いている時期だったので、十分注意しながら歩いてきましたよ。
・・・と言ってもほぼ街なかなので全然注意もする必要がありませんでしたが。
街道の終結点はやはりお城だろうということで、逆に僕たちのスタート地点は三之丸に11ヶ所ある「口」に設定しました。
でもそこに向かうまでも自宅から歩いていくので、途中これまた旧街道の笹谷街道を通ってお城へと向かいます 笑
それにしても、笹谷街道がこんな七日町を通っているとは最近まで知らなかった。
今回のスタート地点近くには御殿堰も流れてます。
ちょっと草が茂ってきちゃってますね。水あるところ草は生えますからね~。
さぁ、このあたりからスタートしてみたいと思います。
おそらくこの辺りは三之丸の内側だと思うのですが、この少しクランク状に曲がった道がなんとも城下のまちの造りのような気がして気になるんですよね。
とにかくここからスタートです!
たぶんここがかつての旅篭町口と思われるところ。
この先貸し役所方向なのですが、この向きに「口」が開いていたと考えられています。
このあたりに三之丸のお堀があって、人々が往来していたんでしょうね。
二口街道はどこかというと、地図を見る限りは山形新聞さんのメディアタワーの角から北上するのが素直な考えなんでしょうけど、僕と奥さんは「そうなのか?」と。
お堀と被る気もするのですが、ここから北に向かってみます。
だがしかし。いきなり道が分断されてる!
国道が切れてしまってもはやここは通り抜けできません。仕方ないのでちょっと迂回。
さっきの道をまっすぐ来ると、この道を通るんですよね。
そこには千手観音のお堂が建っているんです。
勝手な考えですが、昔の街道筋ってきっと寺社仏閣や一里塚とかの石碑・石塔があるところなんじゃないかと思うんですよ。なのでこっちに来てみたのでした。
いま歩いているルートが赤もしくは黄色のルート。
丸印が点いているのが写真を撮った場所ですね。
ほっそい赤線もあるのですが、それは「ホントはここを行きたかった」というルートです(^^;
まっすぐ進んでくると、ここ円応寺さんにぶつかるんですね。
ここはどう迂回していくんだろう・・・ と悩むわけですが、もしかして江戸時代なんかはお寺の寺領も普通に人々が歩いていたんじゃないか?
なんて思ったのですが、それはさすがに無理があるか(^^;
左手には石碑・石塔がたくさん並んでいます。
仏様が描かれた石碑や曼陀羅が描かれた石碑などいろいろあります。
中に入って、三十三観音の札所ともなっている観音堂をお詣りします。
こちらの御本尊は、弘法大師が造ったとされる聖観世音菩薩。
中に見える仏像はそれとは別で、こちらは木像の座像としては東北最大と言われているそう。
古くから伝わる貴重なものが残されています。
特にこの「延文二年板碑」は山形県の有形文化財に指定されています。
梵字がカッコイイですねー。
とりあえず先を急ごうと、県道を歩いてここから二口橋へ。
この道はどうやら二口街道らしいのですが、ここに至るまでの円応寺さん近辺のルートがよくわからないな・・・ 普通に県道が旧街道だったんだろうか?
二口橋を渡ったら斜め左手、市総合スポーツセンターやさくらんぼテレビさんの方へと向かいます。
ここが旧二口街道なんですね。僕もよく通りますよ。
その途中で残念なお知らせを発見。
そう言えばそうだったんですよね。9月1日で閉店されたんでした。
50年間(!)ありがとうございました。
ここまでのルートです。
県道を通ったところは、実際に旧街道かどうかわからなかったので黄色で記してます。
本当はどこが旧街道なんだろう?
街道を進んで、延命地蔵菩薩さまのお堂へ。通称、夜泣地蔵さん。
前にも見に来ましたね~。
石碑がたくさん並んでます。やっぱり街道沿いには石碑ですよ♪
太神宮、馬頭観世音の碑のほか、後ろには十八夜供養塔や青面金剛像などもあったのですが、「童女」という文字も見えたので写真はあまり撮りませんでした。
そのまま進んで、住宅地のなかに雨乞大明神の碑があります。
もともとは泉福寺産の境内にあったのだとか。郷土史研究会さんの解説はありがたいですね。
ここが旧二口街道。雰囲気ありますよね~。
なんとなく、街道は川というか堰や用水に沿ってあることが多いような気がします。
大きい通りを渡って、再び旧街道へ。
少し曲がった道が街道の雰囲気を醸し出していますね。
ビッグウイング近くの道で、二口街道が消えていました。
ここはまっすぐ伸びていたはずだったのか、ちょっとズレて続いているのか・・・
とりあえず道路を渡って、近くの道を入ってみました。
突き当たったところでくるりと後ろを振り返ったら、こんな石碑が。
よく文字が読み取れませんが、分岐点によくある「右、○○ 左、○○」という追分石なのかな?
もしそうなら、ここが旧街道の分かれ道だったんですかね。
さあ、ここから二口街道を北上します。
黄色い部分、多少ずれはあるかもしれませんがこのまま二口街道のルートで良さそうですね。
ずーっと道なりに歩いてくると、野呂川に架かる八貫橋へ。
左手には大野目温泉さんがあります。
橋を渡ったところには橋の供養塔が建ってました。
橋の供養塔って初めて見ましたけど、きっと古いものなんですよね。
というところで、ここから先は区画整理されてしまっているので道がありません。
そこで、わかっている先の道路まで一気にワープすることにしました!
しかし凄い道だ・・・
自転車に乗ったおじいさんが普通に進んでいったので僕たちも来てみたんですが、なかなかハードな歩道でしたね。草が茂りすぎていて歩くのに難儀しました。
やっとの思いで大きい通りに出ました。
でもまだここは二口街道ではないんですよねー。
ここです!
これが二口街道を進んできていたら出てくるはずだった道。
ここから再び二口街道を進みますよ。
と、すぐ隣にはこの石碑。
金毘羅碑と湯殿山碑。やっぱの街道沿いには石碑があるんですよ。
おっと。
そのさらに隣にはこんな光景が。一体何になるんだ!?
北インターのあたりが謎ですね。
再び歩き始めて、道路沿いにこんなお地蔵さまとお社が。
道路にあるというよりは個人宅の敷地内にあったのかな・・・
どんどん行きましょう!
大岡山高禅院さん。
境内をのぞいたら、お地蔵様の石仏と、夜念仏供養塔の石碑がありましたね。
まっすぐ進んできて、ちょうど突き当たった状態のところにあるお地蔵さま。
大岡山の登山道入り口にも当たるところで、昔から行き来する人を守ってくれてたんでしょうね。
お地蔵さまから左に曲がり、この交差点は見えにくいけど真ん中の細い道へ。
カーブミラーがあるところへと真っすぐ進む感じです。
そこを進んでくると、ここに来ます。
前にも来ましたねー。山神神社への参道口です。ここにはいろんな石碑があるんですよね。
一番大きい湯殿山碑には「天保」の文字がありました。
ここは疑いようもない、二口街道を歩いてこれましたね。
やはり水路とともに街道がある感じですね。
梅花藻が育つ、綺麗な水の流れでした。前は山大の御殿堰にも梅花藻が育ってたんですけどね~。
今では・・・ 水が流れないことにはどうしようもないですね。残念です。
道路わきには今もこんな石碑が建っていました。
年号も書いてあるっぽいんですが、なんとも読み取れませんでした・・・
おっ。大きな通りに合流です。
ここにもお地蔵様がいますよね。
延命地蔵尊。そして右には夜念仏供養塔と、おそらく南無阿弥陀仏の題目碑。
いかにも街道沿いって感じがしていいですね~。
ここに茶店でもあったらいかにもイメージ通りなんですけどね。
道路を渡った先に、また石がありました。
これは、追分石ですね。
左は山寺、右は・・・ 二口、でもないだろうし、なんて書いてあるんだろう?
山寺はわかるんですけど、右側の地名が読み取れませんでした。
でも二口街道って山寺を通る道と高瀬を通る道があるから二口なんですよね。それをまさに表しているのがこの追分石というわけですから、ちょっと感動でした。
というところで、この日はここで終了~。
この時、時間は11:20ごろ。ここからお昼ご飯を食べると、帰りの電車は高瀬駅を13:00過ぎの出発。
そこまではちょっと時間が持たないな~、と思ってたら、ちょうど目の前のバス停の時刻がドンピシャのもうすぐだったんですよ!
帰りはバスに揺られて、のんびり帰ってきました。
バスもあんまり乗る機会がないですけど、たまにこうして揺られて帰るのもいいもんですね。
今回の歩いてた時間は約2時間。意外とそんなに時間もかからず、遠くまでも歩けるもんですね。
どっか遠くまで歩いて、帰りはこうして公共交通で帰る、っていうのも気に入りました。
というわけで、昨日の羽州街道につながったというわけです。
どっか歩くのにいい街道があったらぜひお知らせください!
いやー、これはハマっちゃうな。楽しいですよ♪
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